いつだって大丈夫!

子育てをしながら気づいたこと、学んだこと。

カテゴリ: 毒親からの解放



結婚した当時、私は義母に結構ひどい扱いをされていたので、ずっと義母のことが許せませんでした。でもよく考えたら、私が許せない人は義母だけではありませんでした。自分の親が毒親だと気が付いてからは、自分の親のことも許せませんでした。他にも友達の行動が許せなかったり、子供の行動が許せなかったり、自分自身の事も許せていませんでした。

義母には、誰から見ても酷いと感じることをされたこともありました。義両親の家へ泊った時の朝昼兼のごはんに、義母は夫にはご飯とお味噌汁、おかずを出して、私にはお菓子を出したこともありました。私はずっと義母を許せず、何年も怒りの気持ちを引きずっていました。いくら相手を許せない!と思ってみても、心は一向に救われませんでした。

実の母に対してもまた、心の底にたくさんの怒りがたまっていました。自分が来てほしい時に呼んでも来てもらえなかった寂しさ、いつも責められていたことへの怒り、無関心と過干渉だったことへの怒りなど、気が付いた時には物凄い怒りの感情がたまっていました。気が付いた時には母親が許せず、何度も怒りをぶつけましたが、怒りは解消されませんでした。

子どもを許すことができないこともありました。子供が大切な家の鍵を失くした時など、許せないという感情が渦巻いていました。


どのケースについても、「許せない」という怒りの感情を相手にぶつけて返してみても、気持ちはあまり救われませんでした。その場で少しすっきりすることはあっても、心の底には「許せない」という思いがありました。

そんな私でしたが、ある動画に出会ってから、少しずつ人を許せるようになったので、ご紹介したいと思います。

youtube斎藤一人ゆるすということ

斎藤一人さんのお話によると、人は誰もが完璧ではないので、どんな人も許してあげることが大切なのだそうです。あの人が悪い、この人が悪いと思って相手を許すことができない時には、身体と心が硬直してしまうそうです。相手を許せずに責めても何かが変わるわけではなく、ただ自分の身体が硬直し、身動きが取れないままになってしまうのです。人のことを許せない人は、自分自身のことが許せていないそうです。自分自身を許すことができないから、人のことも許すことができないそうです。結局のところ、自分を許すことによってしか、硬直してしまった自分自身の身体と心をほぐす方法はないのです。どうしても人を許すことができない時には、人を許すことができない自分自身を、許してあげれば良いのだそうです。「許せない」という感情が湧いてきたら、本来なら手放さなければいけない、その感情を持ったままでいる自分自身を許してあげる。どこまでも自分を許すしか方法はないのだそうです。

許せない出来事が重なって、相手を許さずにいたらどうなってしまうのでしょうか。相手を許さず自分の心と体が固まってしまうと、少しずつ自分の心と体は固くなり、最終的には身動きが取れなくなってしまいます。例えば手足を縛られた状態で習い事をしてみてもうまく行きません。どんなことを新たに始めてみても、何一つうまく行かなくなってしまうのです。だから、人を許すということは自分自身のために必要不可欠なのです。

千手観音という観音様がありますが、手が千本あるということは、あの手、この手と、一つのことに対して1000通りの手を出すということを表現しているそうです。あの手がダメならこの手、この手がダメならあの手…と、千の手を出す慈悲の広大さと、救う手段の豊富さを表しているそうです。人は、このように千の手をもって、相手に向き合うことができるのです。許せないという思いによって感情が固まってしまっていると、一つの手も出せなくなってしまうのです。


言うことを聞かない子供に腹が立つことがあります。腹が立つというのは、子どもを許せないということです。言うことを聞かない子どもを許してあげるというのは、子どもを叱らずにほっておくということではありません。相手に対して落ち着いて注意をする、教えるということなのです。子供に落ち着いて教えても言うことを聞かない場合…それは言い方が悪いのです。昨日と同じ、効果のない注意の仕方を繰り返してしまっているからうまくいかないのです。「何度言わせるのよ」…何度も同じことを言って、言い方を変えていないからいけないのです。あの手がダメだったのに、何度も何度も、同じ手を使っていないでしょうか。同じやり方をしてうまくいかないのに、また同じやり方をしているからうまくいかないのです。この手がダメだったら次の手、次の手、次の手、1000の手を出せば良いのです。なぜ手が出せないのか。一個の手を出した時に、もう許せなくて次の手が固まってしまっているからなのです。

次の手が出せない自分を許す。相手に対して怒りを覚えた時に、落ち着いて対処をすることは、自分を許せていないとできないのです。相手を許すとは、相手の悪い行いを受け入れるということではないのです。完璧でない相手に対して落ち着いて対処するということなのです。それができない自分を許すことによって、次第にそれができるようになっていくのです。相手の行動に対して落ち着いて対処することができるようになれば、相手への「怒り」や「憎しみ」は自然と消えてなくなるのです。自分が、(落ち着いた対処を)できない自分を許せるようになれば、自然と心と体がゆるみ、相手に対して千の手が出せるようになるのです。千の手が出せれば、自然と自分自身が幸せになれるのです。

結局、相手を「許せない」という感情は、「怒り」のことであり、この怒りの感情は相手に対して適当な対処をすることができれば消えていく感情なのです。相手を許すとか許さないとか、心の中で思ってみても、自分の外の世界を変えることはできません。自分が許すことができる存在は、ただ自分自身だけなのです。どこまでも自分自身を許すこと。丸ごと自分を受け入れること。幸せの道とは、自分を許すこと(自己受容)なのです。





私の親は、過干渉、無関心という毒親でした。

そのことは、子育てをしていくうちに気づきました。

私はずっと、自分の親は立派で優しくて、私のことを大切にしてくれていると思い込んでいました。
他の友達のよりも、いつもたくさんの洋服を買ってくれて、お小遣いも人より多くかったので、恵まれた家庭に育ってきたと思い込んでいました。思い込まされていました。
だから、まさか自分の親が毒親だなんて思いもせずに30代半ばまで過ごしてきました。

子どもが生まれ、子育てをしてみてやっと気づきました。
私はお金はたくさんかけてもらったけれど、自分が欲しかった愛はもらってこなかったということを。
子育てを始めて、子供にしてあげたいのに、してあげることができない…子育てがよくわからない。どう接することが子供にとって良いのかがわからない。そのような問題に直面するたびに、何故できないのか自問自答し、それは自分の母親に原因があったということに気が付きました。

母親と楽しく会話をした記憶がほとんどない。
思い出そうと思っても、自分に向き合ってくれた顔が思い出せない。

部屋に来てほしいと訴えても、いつも母は姉の部屋へ行って、自分の部屋には来てくれませんでした。(姉はいじめにあっていたのもあったのだと思います。)
部屋に来てくれたと思ったら小言。
私に無関心なのに、友達とのやり取りの手紙はこっそりと読んで、「何考えてるかわからない」と言われて傷ついた記憶。

親からお金はたくさんかけてもらってきたので、自分は幸せなんだ、私は良い親に恵まれているんだと思い込んできました。
素晴らしいと思い込んでいた親を怨むなんてことはできなくて、親に責められるままに自分を責めてきました。
だんだん精神が崩壊していきました。
いつも緊張して、笑顔が凍っていました。
人に愛されたくて、でも求めた愛をもらえなくて、人を憎み、自分を責め、精神が崩壊していきました。
友達に愛を求めて、でももらえなくて、大切な友達との関係が終わってしまったことがありました。
自分を蔑視していて、被害妄想、自分が大嫌いでした。

生きていることが苦しかったけれど、その原因がまさか母親だったとは気が付きませんでした。
自分自身を責めていました。できない自分、ダメな自分が大嫌いでした。

そんな私が子育てを始めました。
うまくいくわけがありませんでした。
何とかして子供を幸せに育てたい、でもできない、どうしたら良いかわかりませんでした。

そんなところからスタートした子育ても、今は少しずつ、うまく回りだしています。
山あり谷ありの子育てだけど、今は大丈夫!って思えています。

そんな山や谷の日々を思い返しながら、子育てについて、日々思おう事について綴っていきたいと思います。



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