いつだって大丈夫!

子育てをしながら気づいたこと、学んだこと。

2019年02月



人はなぜ生まれてくるのでしょうか…。

少し前までは、子孫を残すためかな?と思っていました。
けれども…それだと子供がいない人は、生まれた意味がないことになってしまう…というところで、その定義は腑に落ちませんでした。

最近読んだ本に書かれていました。


人は「魂を成長させるため」に生まれてくるのだそうです。


(確か、この本に書かれていました。)

魂はそれぞれ足りない部分を磨き、魂の品格を高めるための場をそれぞれ選んで、現世に生まれてくるそうです。現世での課題として磨かれるはずの部分をさび付かせてしまったら、次にうまれ変わったときに借金として残してしまうことになる。つまり、魂磨きは、前世から現世、そして来世へとつながるテーマでもあるのだ。周りにいる人は、自分の魂を磨くためにいると考える。



それを知って、私は心の底から自分の生まれてきた環境に納得し、過去を受け入れることができました。

毒親の元に生まれ、30後半まで苦しんだ私は、人生のほとんどを無駄にしたような気がしていたのですが、きっとそこには自分が学ぶべきことがあったのだと、これはこれで良かったんだと思えるようになりました。


☆☆☆とても面白かった本☆☆☆




シルバー・バーチ霊言集には、こう書かれています。

「どんな暗闇の中にあっても、決して希望を捨ててはいけない。そして次のことをしっかり心に銘記して頂きたい。地上を住みよい世界に変えようとする人達は、最後には必ず勝つ。」

「産みの苦しみがなければ、悲しみの涙がなければ、価値あるものは何一つ実現できない。地上世界はやがてこのことを、苦しみと悲しみの涙をもって、学びとるだろう。」


苦しいことも多い世の中ですが、その苦しみから目を背けずに、過酷と思える障害も何らかの学びがあると信じて、魂の修行だと思って乗り越えていきたいです。





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子育てをしていると、習い事のはじめ時・やめ時で悩む事があります。
周りの子がサッカーを始めたとか、塾を始めたとか聞くと、気持ちがそわそわしたりします。それで子供は望んでいないのに体験に行かせてみようかと考える。また、習い事を始めてみたものの、本人がやめたいと言い出した時にも悩んだりします。せっかく始めたのに、このままやめて嫌いになってしまったらどうしよう(不安)…とか。せっかく今までお金を払って習わせてきたのに、今やめたら何も実になってない(もったいない)…とか。泳げなかったら学校の水泳の授業の時に困るかもしれないとか、周りのお友達がみんなサッカーを始めたけれど、やらないでいたらお友達の輪の中に入れなくなってしまうかもしれないとか、何か運動を習っていないと、運動が苦手な子どもになってしまうかもしれないとか、塾に行かないで周りと差がついてしまうかもしれない、落ちこぼれてしまったらどうしよう…とか。
色々な親の感情が入ると、習い事をどうするかを決めることが難しくなります。



子どもが成長して今思うことは、「それができなくて、何が困るの?できなくても問題ない!」ということです。本人が困ったと感じれば、その時に「習いたい」というかもしれません。また、できなくても本人は困ったと感じないかもしれません。習い事はシンプルに、本人が希望するものをすれば良い、それだけです。どんなに遅く始めようとも、本人が必要だと感じてから、やりたいと感じてからでも十分に伸ばすことができます。(オリンピック選手などを目指す…という特殊な場合は分かりませんが。)何より、本人が希望していないと習い事の効果は出にくくなります。そして結局は、そのことが好きな、後から始めた友達にどんどん抜かれていきます。


我が家の息子は、小学5年生の時に友人のピアノの発表会に呼ばれて、初めてピアノに興味を持ちました。5年生からピアノを始めるのは遅いような気がしましたが、ピアノに対する興味が物凄かったので、やる気が他の子達とは違いました。物凄いスピードで習得して、2年間で「きらきら星変奏曲」を弾くに至りました。

逆に、幼稚園年少から続けていた体操教室は半分本人の意思ではなかったので、低学年の頃までは輝いていたのですが、高学年になって、後から始めたやる気のある子にどんどん抜かれて行って、結局やめることになりました。もともと好きではないから、追い越されればやる気もなくなり、諦めてしまうのです。やる気のある子には、どうしたってかなわないのです。

youtuberのDaigoも、小さい頃はヒョロヒョロだったのに、30歳目前になって筋トレに目覚めて今は立派な筋肉があります。
本人がやりたい!と思った時に始めれば、いつからだって大丈夫なのです。


習い事でもう一つ重要なのは「先生」です。先生が合わないときは、どんどん相性の合う先生を探した方が良いと思います。絶対に。先生のことが好きでないと、どんな習い事も続かないし、好きになれません。
私の経験ですが、先生が好きだった習い事はどんどん上達し、長く続けることができ、今でも続けています(もう何十年も書道を続けています。)。逆に先生が嫌いだった習い事は、習い事自体が嫌いになってしまいました。(小さい頃ピアノを習っていましたが、引っ越しをして先生が変わってから、好きだったピアノが大嫌いになってしまいました。)


結局、子どもが素晴らしい成果を出せるのは、子どもが本当にそのことが好きな場合のみです。
子供が嫌がっている習い事はすぐにやめた方が良いでしょう。
ただし、嫌がる理由が「先生」の場合は、「先生」を変えましょう。




幼稚園や学校の参観などで、子どもが友達と交わらずに一人でいる所を見かけると、不安になることがありました。他のお友達は幼稚園や学校帰りに友達と遊ぶ約束をしてくるのに、我が家の子供は約束もせず、まっすぐに家に買ってくる…。小学校1,2年生の頃は、お友達がほとんど作れず、学校でポツンとしていると先生に言われたこともあり、本当に心配で不安でした。


子供が友達を作れないのは子育てがうまくできていない自分の責任だと、心の底で感じて自分を責めていました。子供がのびのびと育っていないのは家庭の中(私自身)に歪みがあるからで、その自分自身の歪みが、子どもを通して周りの人に知られてしまうということに恐怖を感じていました。当時決して良いお母さんではありませんでした。自分で自分のことをダメな母親と思っていたので、他人からもそう思われている(思われていたでしょう)…と思い込んでいました。当時の私は、他の人から責められることが怖くて仕方がありませんでした。人の目が怖くて仕方がありませんでした。いつも責められているような気がしていました。(小さい頃いつも毒親から責められていたので、自分でも自分を責めていました。)
だから、子どもの情緒が安定していなかったのは自分のせいだと思っていたし(実際そうですが)、そのように人からも思われたくなくて、とにかく子供に友達ができてほしかった。

子供に友達ができれば良い…そう思って私が子供と同じクラスのお友達を家に呼んでみたりもしました。でも、呼んでも子供が上手にお友達と遊べない事もあったので、心配でいろいろなおもちゃを買ってみたり、遊びを考えてみたり…子供たちが楽しく遊べそうな方法をあれこれ考えて色々してみましたが、どうやってもうまく行きませんでした。


結局…どうにもこうにも上手くいかなくて、結局根本の原因をどうにかしなくてはいけないのだ、という結論にたどりつきました。そして等身大の自分を受け入れる覚悟を決めました。未熟な自分、できない自分、そして子育てを失敗してしまっただめな自分を、認めたくなかったけれど認め、受け入れたくなかったけれど受け入れました。子どもに友達がたくさんいて欲しい…という願いを諦め、そのままの子供を受け入れました。そして、それならば今、自分には何ができるのか、を考えました。


まず、子どもに友達がいてほしいという思いを諦めました。
子供だけでなく、自分自身にも友達はたくさんいない、という事実も認め、受け入れました。そして、友達がいない子ども、そして自分を許しました。今は友達がいなくても、いつか必ずたくさんお友達ができる日が来る、と信じました。


次に、自分が子どもにしてあげられることを考えました。
・子どもにたくさんの愛を与えること。
・子供と一緒に、家にいる時間を楽しむこと。
・友達と遊ばない子どもを否定しないこと。
・子供に求められるだけ応じ、子どもの要求を満たすこと。
・笑顔で接すること。(作り笑顔でぎこちなくても笑顔を向ける!)



先が見えなくて、真っ暗で、永遠に真っ暗なトンネルの中にいるような、絶望的な気持ちでしたが、とにかく問題を一つずつ解決していくしかない。地道にコツコツ、今できることをするしか方法はない。
2年弱くらい(一年半位?)、子どもと二人の時間を楽しみながら過ごしたでしょうか…。
当時おとなしくて友達のいなかった子供には、たくさんの友達が出来るようになりました。仲の良い親友もできました。学校で行事があれば実行委員に立候補したり、リーダー役に立候補するようにまでなりました。子供自身の魂が輝きだしました。


子どもにとって一番必要な存在は、友達ではありません。子どもは友達よりも、「お母さん」と一緒にいたいのです。友達がいなくて学校で辛い思いをしていても、家に帰ってきてたくさんの愛で癒してくれる存在がいれば大丈夫。子育てに、近道はないのです。お母さんとの関係がしっかりとしていないのに、子どもが自分から友達の世界に飛び出していくことを期待しても仕方がないのです。何かうまく行かない時は、基礎となる土台がしっかりできていないのです。それは、どんなことに関しても共通している真理。あれこれ手を加えてみても、間違えたやり方では結局どこかで崩れてしまう時が来る…。そして、基礎からやり直さなければならない時がやってきてしまうのです。

一番の近道は、子どもと親(母親?)との関係をしっかりとしておくこと。
親が子供を満たしてあげられないと、その代わりとなる愛を友達に求めるようになってしまいます。
親に求める愛を、友達が満たせるはずはありません。
どんな時も、どんな状態の子供でも受け入れて、愛を与えてあげると、子どもはどんどん育っていきます。
子どもって、修正も早いです。真っ暗な、どこまでも続いていくと思っていたトンネルは思っていたよりもとても短くて、2年後にはすっかりトンネルから出ていました。そのトンネルの先は、キラキラとした素晴らしい世界でした。

いつからだって修正は可能だから、どんな時も、いつからであっても、あきらめてはいけません。土台からやり直していけば、案外早くに変化が現れてくるのです。間違えた道に進んでいたら、また正しい道へ戻ってやり直せば、どんな時からでもぐんぐん成長していきます!あとは子供の魂を信じていれば、大丈夫!



子供の「お母さん来て」「お母さん○○して」という要求には、できる限り応えてあげることが愛です。
子供の要求をすべて満たしてあげる…と書くと語弊がありますが、要求を満たしてあげるというよりも、要求している心を満たしてあげるという感じです。
要求が、例えば「あれが欲しい、これが欲しい」等で応えられない場合は、その心だけでも満たしてあげる。例えばお店でおもちゃが欲しいと騒いだ時には、「これが欲しいんだね」と気持ちを受け止めてあげる。「面白そうなおもちゃだもんね」と、気持ちを代弁してあげる。「お母さん来て!」とか「お母さん抱っこして!」などの要求には、できる限り応えてあげると子供は情緒的に安定した子供に育っていきます。



しかし以前の私は、子どもの要求を満たしてあげることができませんでした。
子供に「お母さん来て!」と呼ばれると、身体が硬直しました。呼ばれれば呼ばれるほどイライラしてしまい、子どものそばへ行ってあげることができませんでした。
何故できなかったのか…
以前の私は、子どもの要求に応えてあげていると、子供の要求はエスカレートしてしまい、子どもはわがままになってしまうだろう、と思っていました。子どもの要求は常に自分本位で、人が忙しい時にもお構いなしにやってきていたから…。いつでも要求は満たされると思ってしまったら、わがままな人間に育ってしまうかもしれない、などと本気で思っていました。
私が小学生の時に、担任の先生に「○○さん(私)はわがままだねえ」と言われたことがあり、とても傷ついたことがありました。だから、とにかく子供をわがままには育てたくありませんでした。本当は子どもの要求をその都度満たしてあげることが、子どもを我がままでないように育てるためには大切なことだったのですが…。

またそれ以上に、もう一つ大きな理由がありました。
それは、私自身がそのように親から満たされてこなかったということ…。
小さい頃、私は母親に自分の部屋に来てほしかった。けれども、いつも母親は受験がある姉の部屋にいて、私の部屋には来てくれませんでした。訴えても訴えても、自分の部屋に来てほしいという願いは叶いませんでした。
だから、娘に「お母さん来て!」と呼ばれると、身体が硬直しました。呼ばれれば呼ばれるほど、腹が立って拒絶反応が起きました。「何てわがままなことを言うんだろう!」と、心の底で感じていました。
自分が親に、してほしくてたまらなかったのに満たされなかったこと。
「子供の要求に応えていると、我がままになる」のは実は言い訳で、本当は自分自身が満たされていなかったのに他人を満たすことなんてできなかったのだと思います。


何か、子どもが要求しているのに応えてあげれないことがあったら、もしかしたら、それは自分自身が親(や他の誰かに)して欲しくても、してもらえなかったことなのかもしれません。もしくは自分自身の要求が満たされたという経験が少なかったのかもしれません。人は、自分がしてもらいたかったのにしてもらえなかった…という不満を感じながら、同じことを他の人にしてあげることなどなかなかできることではないのです。


もしそのような気持ちがあったことに気が付いたら、その自分自身の気持ちを受け入れていくと次第に子供の要求に応えられるようになっていきます。

あぁ、私ができないことは、できなくても当然なんだ。
何故なら自分が小さい頃親にしてもらいたくても、してもらえなかったのだから。
出来なくて当然だし、もしできたら、私は物凄いことを達成できたと思っていいんだ。 
私は辛かったんだ、私は親に○○してほしかったんだ、という当時の自分自身の心に気づいて受け止める。そしてまた、当時叶わなかった願いををもう、諦める。諦めて手放す。


自分がそれをできない理由に気づき、できない自分を受け止め、自分自身を許す。そしてまた、自分自身の中にあった欲求を手放していくことで少しずつ、できなかったことができるようになっていきます。

自分自身に「できなくても当然。辛かったね。」と声をかけてあげる。自分自身の心の内を知り、自分の心を癒して満たしてあげる。そうすれば、必ず、子どもの要求にも応えられるお母さんになっていきます。
子供の要求は、満たせるだけ満たしてあげて大丈夫。(体に危険や害がない限りにおいて。)子供が要求してもいないのに、親の方であれこれ心配をして手助けをしてあげることを過保護と言いますが、要求に応えてあげることは、過保護とは言いません。要求は満たしてあげれば、消化されていきます。子供自身、要求が消化されていけば、親に対する要求も減ってくるでしょう。
子供が小さいうちの要求なんて、本当に小さい事。大人になって要求が大きくなる前に(何万円もするものが欲しい等)、小さな要求(スーパーでお菓子を買ってあげるなど)は、できる範囲でなら満たしてあげても良いのだと思います。
我が家の娘には、旅行先ではお土産を買ってあげたり、お出かけしたら文房具を買ってあげたり、年に一回お年玉で好きなだけお買い物をさせてあげていたのですが、もうすっかり物欲がなくなって、今では逆にものが増えすぎることを懸念するくらいです(笑)。(まだ小学生です。)
子供たちとスーパーに行ったときに、「ほら、好きなお菓子持ってきて!」と言っても「いらないよ~」という位…お菓子を欲しがることもありません(笑)。要求に応えると、要求がエスカレートするかも…そんな風に思いがちですが、そんなことはありません。できる限りの要求は満たしてあげれば消えていくものなのです。
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私の親は、過干渉、無関心という毒親でした。

そのことは、子育てをしていくうちに気づきました。

私はずっと、自分の親は立派で優しくて、私のことを大切にしてくれていると思い込んでいました。
他の友達のよりも、いつもたくさんの洋服を買ってくれて、お小遣いも人より多くかったので、恵まれた家庭に育ってきたと思い込んでいました。思い込まされていました。
だから、まさか自分の親が毒親だなんて思いもせずに30代半ばまで過ごしてきました。

子どもが生まれ、子育てをしてみてやっと気づきました。
私はお金はたくさんかけてもらったけれど、自分が欲しかった愛はもらってこなかったということを。
子育てを始めて、子供にしてあげたいのに、してあげることができない…子育てがよくわからない。どう接することが子供にとって良いのかがわからない。そのような問題に直面するたびに、何故できないのか自問自答し、それは自分の母親に原因があったということに気が付きました。

母親と楽しく会話をした記憶がほとんどない。
思い出そうと思っても、自分に向き合ってくれた顔が思い出せない。

部屋に来てほしいと訴えても、いつも母は姉の部屋へ行って、自分の部屋には来てくれませんでした。(姉はいじめにあっていたのもあったのだと思います。)
部屋に来てくれたと思ったら小言。
私に無関心なのに、友達とのやり取りの手紙はこっそりと読んで、「何考えてるかわからない」と言われて傷ついた記憶。

親からお金はたくさんかけてもらってきたので、自分は幸せなんだ、私は良い親に恵まれているんだと思い込んできました。
素晴らしいと思い込んでいた親を怨むなんてことはできなくて、親に責められるままに自分を責めてきました。
だんだん精神が崩壊していきました。
いつも緊張して、笑顔が凍っていました。
人に愛されたくて、でも求めた愛をもらえなくて、人を憎み、自分を責め、精神が崩壊していきました。
友達に愛を求めて、でももらえなくて、大切な友達との関係が終わってしまったことがありました。
自分を蔑視していて、被害妄想、自分が大嫌いでした。

生きていることが苦しかったけれど、その原因がまさか母親だったとは気が付きませんでした。
自分自身を責めていました。できない自分、ダメな自分が大嫌いでした。

そんな私が子育てを始めました。
うまくいくわけがありませんでした。
何とかして子供を幸せに育てたい、でもできない、どうしたら良いかわかりませんでした。

そんなところからスタートした子育ても、今は少しずつ、うまく回りだしています。
山あり谷ありの子育てだけど、今は大丈夫!って思えています。

そんな山や谷の日々を思い返しながら、子育てについて、日々思おう事について綴っていきたいと思います。



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